服装が自由な現代と違って、鎌倉時代の人たちの服装は地位や生活をよく表しています。鎌倉絵画は念仏ひじりの生活を知る数少ない手がかりになります。
絵は北野天神縁起絵巻承久本の、菅原道真公埋葬の場面です。棺を牛車に乗せて葬送する途中、牛が頓死して立ち往生しているうちに夜が明け始めたので、急いでその場に埋葬したというエピソードを描いています。
現代の人生の終わりは(脳死は例外として)心臓死です。心臓死になったのはおおむね近代からで、古代から近世までは体失死です。火葬や土葬や風葬によって人体を消失したときが死です。
念仏ひじりが遺体に向かって念仏回向しています。体失死でいえば生前、心臓死でいえば死後というわけです。
六道絵のうち、人道苦相1、滋賀 聖衆来迎寺蔵。
鎌倉時代には、寺社の境内や門前に絵説きひじり(絵説き比丘・比丘尼とも)がでて、地獄絵や六道絵を見せて生業としていました。六道絵の人道には生老病死の四苦が描かれており、死の場面には葬列と墓場が描かれていました。
葬列の中に念仏ひじりの家族がいます。市女笠の女性はひじりの女房と娘、リンを打ちながら棺の先に立つのはまだ幼さが残る男の子です。念仏ひじりの生活は、家族労働の職能集団と言えます。
明治に入って、伝統仏教教団も欧米先進国に視察団や留学生を派遣し、教団の近代化が図られました。教義についても各宗派で明文化が図られました。その過程で消えてしまったのが「念仏ひじりの生活」です。本願寺教団は率先して伝道教団に変貌しようとしましたが、まだ成功しないうちに、社会が変貌しつつあります。道に迷ったら原点もどれ。