あまり知られていませんが、浄土真宗本願寺派の基本教義に「称名報恩」というのがあります。称名に功徳は無いということです。ここでは、信心を得て称名念仏する人を「念仏行者」と呼び、信心を得ずに称名念仏する人を「念仏表現者」と呼ぶことにします。
鉢たたき暁方の一声は、冬の夜さえも啼くほとぎす。長嘯(1569-1649)
絵:鉢たたき図、空阿(1750-1812)
江戸時代、寒念仏というものが大いに流行りました。なかでも、京の鉢たたき念仏はその声と節回しが哀調を帯びて美しいと評判でした。
芭蕉は奥の細道の旅をおえたあと、嵯峨にある去来の落柿舎をおとずれ、鉢たたきがめぐってくるのを待ちます。(嵯峨日記)
以後、「鉢たたき」は冬の季語となり、多くの俳句が残されましたが、音声も映像も残されておらず、いまでは聞くことができません。
墨染めの、夜のにしきや鉢たたき。蕪村(1716-1784)
蕪村が「墨染めの夜のにしき」と表現した念仏とはどんなものだったのでしょう。手がかりを探してユーチューブの世界を旅することにします。
空阿違い。
上掲の鉢叩き図は10年ほど前に入手したもので、遅月庵空阿(1750-1812)作としておりましたが、最近、ネットオークションに出された軸(左写真)と、書体及び印形が異なります。そこで、改めて空阿の検索をしたところ、中田空阿が浮かびました。
空阿(1677-1760):去来の門人(去来の甥、または庶子とも)芭蕉から桃雨の俳名をもらったが、後に去来に入門し鳥幽と名付けられた。別号、一葉舎、水鶏坊、南無庵。宝暦10年7月5日没、八十三歳。
この後、蕪村(1716-1784)が多く鉢叩きを描いていますが、そのおどけた感じと異なり、芭蕉の求めたそれは哀愁に満ちていたことが絵から感じ取ることができます。
2024/06/06
鉢たたきは中世から近世(12世紀~19世紀)に存在した念仏芸能です。とくに江戸時代には、京の都で人気をはくし、その様子が、絵画、俳句に残されています。そして、その芸能がそのまま取り入れられていると考えられるのがこの狂言です。
勤入(つとめいり)とは、まさに鉢たたきの行うお勤め、すなわち勤行が入っているということです。芸能として見れば芸能ですが、そのままが宗教儀礼でもあるのです。
注目①
衣装です。先をいく二人の鉢たたき
は雑色(ぞうしき)もしくは水干(すいかん)を着ています。これは式服で、天皇の葬儀やおおきな寺社で行うときの礼装です。
後に続く鉢たたきは、俗袴に墨染めの羽織のようなものを着ています。市中を遊行、門付する衣装です。本来は空也僧ですから、僧衣のはずですが、僧でないものが僧衣を着てはいけないという禁止令が何度か出たようで、それでは、とかえって派手な紋付などを着たようです。
注目②
念仏勧進の鉢たたき歌です。映像では「小瓢なりとも置いて行け」までですが、
(鉢叩甲)よしや君。(一同)寝ても覚めても忘するなよ、ただ一念は念仏なりけり、思えば浮世は夢の世ぞかし、栄華はこれ皆春の花、名利の心を止むべし。
と続きます。
参考
写真下は、六斎念仏上鳥羽橋上講に残る文書です。鉢たたきは空也上人の末裔という由緒をもった一団で、歴代天皇の葬儀の「焼香式」に際して出仕していました。六斎念仏は太鼓と念仏を称える別系統と考えられますが、空也堂傘下の講として出仕していました。文書はその時の装束(衣装)と持ち物(法具)を指示したもの。
狂言に取り入れられた鉢たたき念仏の「勤(つとめ)」には、鉢たたきの姿と文言せりふをしのばせるものがあります。しかし、狂言独特の発声と節回しに邪魔されて、聞くだけでこの世の無常を悟らせる念仏の味わいを感じることができません。
一方、空也堂傘下の六斎念仏講は、宮中の葬儀などに空也僧と行動を伴にしており、鉢たたき念仏の音楽性を伝えている可能性があります。
図は明治30年の英照皇太后焼香式配置図(六斎念仏上鳥羽橋上講蔵)です。空也堂傘下の門侶284名と六斎徒100名、総勢384が供奉しており、六斎が式典の音楽担当と思われます。
明治以降、葬儀は神式になりますが、焼香式は各宗派管長、門跡を招いてとりおこなわれ、念仏回向されたことがわかります。
鉢叩き念仏の手がかりの二番目は節白舞です。
「旅人の馳走に嬉し鉢たたき」去来
節回しは本調子都節で唄われています。田舎から都見物に来た旅人は、このあかぬけていて哀調のある節回しを聞いて、よい土産話ができると喜んだと思います。
①~③の和讃は真宗風です。
江戸中期から後期は、両本願寺の勢力が伸びた時代です。鉢たたきの寒行は空也上人の命日11月13日から大晦日まで、毎夜、まず東山の墓を回り、そのあと右京左京を往返します。本願寺では親鸞聖人の命日11月28日の前後7日間、報恩講が勤められ全国から門徒が参詣してきます。農閑期の旅行と年末の買い物をかねています。本願寺門徒の宿を門付して回るのに真宗風の和讃を唱える才覚があったと思います。
上鳥羽橋上講文書の中に、1通だけ西本願寺に出仕を命じた文書があります。現在の私たちには奇妙に思われますが、おそらく、明治維新の大政奉還にいたる過程で、当時の最大教団であった西本願寺の明如上人が勤皇方に着いて尽力した功績に対して、明治天皇が配慮したものと思われます。
それ以前にも、それ以後も、西本願寺と空也堂が交流することは無く、実際中陰法要ではどのようであったのか分かりません。「空也堂極楽院院主が天皇の命によって焼香に立ち、その間、講中が焼香太鼓を奏する」情景を想像します。
水面下では、近代真宗教義と相いれないで破門された本願寺門侶が、空也堂傘下に入り、諸国に散らばったといわれています。
福島県会津若松市河東町冬木沢の八葉寺に伝わる空也踊躍念仏は、京都の空也僧から伝播した経緯が明らかにされています。(空也舞踊躍動念仏の伝播と伝承、中村茂子、芸能の科学15,27-52,1985)
それによると、東京の光勝会が初めて八葉寺を訪れたのは大正5年、当地の人達(八葉寺の檀徒で空也光陵会を組織して伝承)に伝承したのが大正11年、翌年の関東大震災で光勝会は壊滅状態になります。
絵ハガキは光勝会の貴重な映像です。
動画は光陵会による空也念仏踊り(福島県指定重要無形民俗文化財、1972年)です。
新聞記事を機械朗読したものが紹介されています。多少誤読もありますが、貴重な情報です。民俗宗教の研究論文のように正確で、なおかつ、最後の伝承者の姿を生き生きと伝えています。
最初と最後に流れる念仏の節に注目しましたが、これは現在も西本願寺で用いられているもので、かくし念仏の音声ではありません。しかし、かくし念仏は江戸末期から明治時代にかけて、西本願寺を破門された門徒の可能性が高いので、同じ節で南無阿弥陀仏をとなえた可能性はあります。
文中に出てくる鍵屋仏具店は西本願寺門前に今もあって、グーグルマップで見ることができます。しかし、向かいの数珠屋芝川骸骨堂さんによると、昨年から店を閉めておられるそうで、看板も下ろされる運命のようです。
中国の電子念仏機
私が電子念仏機に出会ったのは、西安郊外の香積寺です。200元寄付をしたら記念品をくれるというので、いただいたのが電子念仏機です。その時の写真から、1996年9月21日であったことがわかります。
現在ユーチューブには、この念仏の音声を延々と流す、中には10時間というのもあります。
もちろん、違うデザイン、音声のいろいろな新製品もあります。
この電子念仏機を手にしたとき、これから、日本のお寺でもこんなのを作って売るだろうなと思いました。しかし、20年余りたちましたが日本製の電子念仏機は見当たりません。
百万遍念仏、不断念仏を称えるのもいいですが、聞くだけでもいいというのを日本人は忘れてしまったようです。
落語 亀佐
摂津、河内、和泉の三国は、真宗の多いところで、大阪落語には真宗独特の文化を伝えているものが多くありました。米朝師匠が廃れてしまったはなしを掘り起こす努力をしてくださったおかげで、「亀佐」も残りました。「亀佐」にでてくる説教は、実際の説教をそのまま演じておられます。理屈を話すと本当に全員寝てしまうようなことになるので、このような話し方をします。わたしもよく丸パクリをしました。連研や川西市仏教会法話の会では、閻魔や鬼の顔芸を加えてやりました。
この落語の場面のような、講(こう)の肝いり(きもいり)が自宅で開く法座はずいぶん少なくなりました。(写真:摂津十三日講)
韓国珍島の路念仏
2000年8月、韓国珍島の念仏に出会いました。豊かな芸能文化にふれることができる珍島平和祭にあわせたツアーに参加していました。なんと、お祭りのパレードの先頭は葬式行列です。サンヨソリ(喪輿のうた)を唄いながら進みます。ナームアーミダーブと繰り返しています。その辺に僧侶の姿はありません。(写真:CD「珍島サンヨソリ」珍島文化院発行添付書)韓国の古式の葬儀は儒教式です。違和感なく念仏が融合しているのを偶然まのあたりにしたのです。俗人の念仏のルーツと感じ、翌年ひっつんつんを携えて参加することになります。
説明(未掲載)
説明(未掲載)
説明(未掲載)
常行念仏堂のこけら落としとなる催しをしました。
テーマは鉢たたき念仏を考える。
松尾芭蕉が落柿舎で夜通し待ったという鉢たたきの念仏。どんな魅力を持っていたのでしょう。
京都から、六斎念仏上鳥羽橋上鉦講中の川勝義弘講元、熊田茂男保存会会長。空也堂極楽院の空也僧、大沢義阿弥師が来てくださいました。まとめを佛教大学文学部博士課程、山中崇裕氏にお願いしました。
私は、野辺送りの行進で唄われる「路念仏が唄う念仏の原点」,と持論を紹介できてうれしかったです。
芸能と宗教を分ける必要がない、儀式と演技も分ける必要がない。念仏芸能の世界を堪能しました。
浄土宗の住職さん、真言宗の住職さん、それに加茂の門徒さんも加わり、念仏の雑煮をおなか一杯いただいて、とても楽しゅうございました。